ただあなたに GOOD NIGHT

「文学的語法から抜け出そうとする企てにはもうひとつの解決策もある。語法の刻印を押された秩序へのいかなる隷従からも解放された白いエクリチュール(ecriture blanche)を創出することである。」
ロラン・バルト『零度のエクリチュール』


 あるときI/Yは戦争、地球温暖化、人口増加、医療格差その他あらゆる「社会問題」を一気に並べてみせた。
しかし何をしろとは言わない。GOOD NIGHTと言うだけだ。
L/Jのように「イメージしろ」とも言わない。
いったいこの作品のどこに社会へのメッセージなどがあるというのだろう。
社会問題を羅列し、GOOD NIGHTを繰り返しているだけではないか。
こういうことが今社会問題として流通しているという「問題」のカタログだと言ってもよい。

飛行船が赤く空に燃え上がってのどかだった空はあれが最後だったの
眠りかけた男たちの夢の外で目覚めかけた女たちは何を夢見るの
世界中の国と人と愛とカネが入り乱れていつか混ざり合えるの(I/Y)

「問題」は生まれるのではなく作られる。
工業製品と同じように必要に応じて必要なだけあるいはそれ以上作り出される。
私たちは「問題」があれば「解答」しなければならないと教えられてきた。
近ごろでは「解答」しなくてもよい「考える」ことが重要だとも言われる。
いずれにしても「問題」がそこにあることは事実として疑問の余地がないらしい。
だれがそのような「問題」を何のために作り出したのかはいつも不問のままだ。

「問題」を列挙しながらGOOD NIGHTしか言わないのは、いくらニュースで「問題」の存在を確認したところで私は結局何も社会を変えることは出来ず、ただあなたに良い夜が来ることをささやかに願うくらいしか出来ることはないといった諦念やニヒリズムだと思う人がいるかも知れないが、それは間違っている。

この作品では「問題」の消滅という事態が起こっているのだ。

 我が国の将来の「問題」よりも、傘がないことが「問題」なのだと言い切ったとき、I/Yは社会で流通している「問題」と言われているものよりも「僕」にとってリアルな実感を選んだに過ぎなかった。
しかしそんなごく個人的な選択さえもが当時の若者たちの「無関心」「個人主義」などという「社会の問題」を反映していると評され、また新たな意匠による「問題」に再び組み込まれてしまった。
傘がないという切実な「問題」がいつのまにか「社会問題」に取り込まれてしまったのだ。
社会の「問題」は分裂を繰り返して巨大化する怪物のように殺しても死なないのだ。
では「問題」を殺すにはどうすれば良いのか。
たとえば「問題」が生産される前に、先回りしてありとあらゆる「問題」を列挙するとどうなるか。
「問題」はすべてカタログ化され、誰でも自由に好きな「問題」を選ぶことが出来る。
どうかご自由に気に入った「問題」をお選びください。
すると不思議なことに誰も「問題」を語らなくなるのだ。
結局だれも「問題」を解いたり考えるために「問題」のことを口にするわけではなく、「問題」が「ある」ということを確認するために「問題」を口にするに過ぎない。
「問題」の流通を止めることは悪だと信じているかのように、通過していく「問題」を自分のところで止めてしまうことを怖れている。
しかし、ありとあらゆる「問題」がカタログ化され目の前に広げられたとき人は沈黙するしかない。
「問題」が「ある」という確認作業はもう終わってしまっているのだ。
すべての「問題」が先回りして投げ出されたならもはや何も言うことはない。
黙って好きな「問題」を選べばよいのだ
そしてGOOD NIGHTと言われたなら大人しく眠るしかないのだ。

そのときはじめて「問題」は消滅する。


「すべての問題は消滅した」ウィトゲンシュタイン