I/YとO/Tの共通点はいくつもあります。
親の子供に対する気持に違いはないのかもしれませんが、二人が書いた「手」と「海」の遠近感は短歌における返歌を思わせるほど似通っています。
何よりも小さな手のひらを握りしめ/この子はどこで幸せになるのだろう(I/Y)
ほら、君の手はこの地球の宝物だ(O/T)
魚にさわれるような しなやかな指を持ちなさい(I/Y)
ほら、目の前は紺碧の青い海だ(O/T)
海へ来なさい そして心から幸せになりなさい(I/Y)
絵でいえば遠近法はデッサンの基本ですが、言語表現にも遠近法はありますね。
かたつむり そろそろのぼれ ふじの山(一茶)
近くと遠く。
この距離の取り方がいわゆる「感性」というやつかも知れないと思う。
子供という不思議な存在。
この不意打ちのような存在。
「愛」としか言いようのない感情をどう伝えるのか。
何かを伝えたいと本気で思うと、目の前の海を一緒に見ながら「ほら、目の前は青い海だ」とか「海へ来なさい」とかバカみたいなことしか言えなくなるのです。
つまり言葉なんてそんな感じで使うことしかできないと諦める。
諦めつつしっかり抱きしめる。
伝われと願いながら二人で海を見る。