ハイビジョンから生まれた恋は

15階建てのビルの14階はテレビ局のフロア
三日月のかたちにマニキュアで固めたワイドショー
けだるい手でテレビをつけるとボクシングの生中継
クイズ番組の答えを横流しするディレクターのまなざし
視聴率より素敵なものは女の子赤坂銀座のお酒でいまだにテレビジョン
母親はスタジオで毎日サイン帳に俳優の名前をねだる
アナウンサーはあわてだし馬鹿げた文句を繰り返す
テレビではわが国の将来の問題を誰かが深刻な顔をしてしゃべってる
最新の夢テレビチャンネル
しゃれたテレビのプラグは抜いてあり
あの子にもらった夏風邪が時間をテレビと終わりに区切る
ハイビジョンから生まれた恋はまだ今んとこない
悩むテレビの後で迷うラジオが終わり
俺はテレビでも歌を歌い
カヤブキ屋根まで届く電波を受けながら暮らせるかい?
重ねてテレビも調子がおかしくて
僕のテレビは寒さで画期的な色になり
イリュージョンカラーのテレビジョン
二人で見るのは退屈テレビ

 I/Yがどれほどテレビに執着しているか。
それを確かめるには作品の断片を並べてみればよいだろうと思い立ち、ざっと書き出してみました。
 たぶんI/Yは他の作家たちに比べはるかに「テレビ」という言葉をたくさん使っている作家です。
具体的に調べたわけではありませんが、あきらかに多いといってよいでしょう。

 ここでI/Yがなぜこれほどテレビに執着するのかといった問題はとりあえずどうでもいいことだと思われます。

 大方の流行歌が「愛」や「恋」という言葉に執着するのと同じく「テレビ」という言葉を使ってみただけだけの話です。
「愛」や「恋」の歌が素敵で「テレビ」の歌が素敵じゃないなんて決まりはどこにもないのです。

「ひとりで見るのがはかない夢なら/二人で見るのは退屈テレビ」I/Y